日本では、お雛祭りもいつの間にか終わって、3月も早いもので半ばに入りましたね。
私は先日3月8日、この日が“International Women’s Day”であるのにちなんで、
とても平和的なプロテストに参加してきました。

アメリカ各地では、こんな活動が行われたみたいです。
↓
CODE PINK “Women for Peace”
日本では耳にしたことのなかった話ですが、実は100年近くも歴史のあるものなんだそうです。
1909年2月28日にアメリカで祝われたのが最初なのだとか。
英文ですが、その歴史背景はこちらに載せられていました。
女性運動の高まりと、それに従い社会で女性の権利や参画が次第に認められてきたことを改めて祝う日。そして、女性たちが集い、世界の平和を願い、その思いを堂々とアピールする日。
国によって様々なのでしょうが、今ベトナムに留学している友だちの話によるとベトナムでは3月8日は「女性の日」として祝日にされていて、またキルギスからの留学生の話でも、この日は彼女の母国では祝日ということでした。他の国々ではどうなんだろう。もっと知ってみたいな。
今まで着たことのなかったような真っピンクのシャツを着て(笑)、地域にある「リクルート・オフィス」へ。リクルート・オフィスとは、新兵を勧誘するために設けられたところなのですが、早い話、イラクに兵士を送り続けているアメリカ政府に反対の意思をアピールするために、そのオフィスの目の前でプラカードを掲げたり、平和的な歌を歌って楽しくプロテストをしようというもの。
外の風は冷たかったけれど、青空がとても澄んできれいだったお昼間のイベント。
女性も、そして男性もピンクの服を着ての参加で、なかなか楽しかったです。
「もっと素敵な世の中になるといいな」と感じ、考え、行動しようとしている人たちと集まってアクションを起こすというのは、私にとってはとてもわくわくするもの。
もちろん、こうしたイベントが時には「巨体の象の気を引きたいのに爪楊枝でつっついているような」ことをしている気にもなります。それでも、たとえ世の中の大きな流れに対する直接的な働きかけではなかったとしても、それは思わぬところでもっと素敵な世の中を創っていくプロセスに繋がっているのではないか、そんな気がしてなりません。
直接的なアプローチも必要だし、間接的なアプローチも必要。
世の中を動かしているのが政治(ここでは民主主義のシステム)だとすれば、前者はそれに働きかけることに当たり、後者は例えばNGOが行っている活動(全てがそうとは限りませんが)なのではないかと思います。
そんなことを考えていたら、思いもよらない新たな人びとや情報との出会いがありました。
そしてその出会いを通し、アメリカ国内でも直接的なアプローチを試み、実際に社会に変化を起こしている人たちはたくさんいるんだなと、改めて確信しました。
何だかとってもわくわく。

写真は、プラカードの一つです。
このサインを見てたくさんのドライバーがクラクションを鳴らしてくれました。
毎日、様々な出会いに感謝しながら、とても楽しい時を過ごしています。
これだから、日々を精一杯生きるのって、やめられないなぁ。
私は先日3月8日、この日が“International Women’s Day”であるのにちなんで、
とても平和的なプロテストに参加してきました。

アメリカ各地では、こんな活動が行われたみたいです。
↓
CODE PINK “Women for Peace”
日本では耳にしたことのなかった話ですが、実は100年近くも歴史のあるものなんだそうです。
1909年2月28日にアメリカで祝われたのが最初なのだとか。
英文ですが、その歴史背景はこちらに載せられていました。
女性運動の高まりと、それに従い社会で女性の権利や参画が次第に認められてきたことを改めて祝う日。そして、女性たちが集い、世界の平和を願い、その思いを堂々とアピールする日。
国によって様々なのでしょうが、今ベトナムに留学している友だちの話によるとベトナムでは3月8日は「女性の日」として祝日にされていて、またキルギスからの留学生の話でも、この日は彼女の母国では祝日ということでした。他の国々ではどうなんだろう。もっと知ってみたいな。
今まで着たことのなかったような真っピンクのシャツを着て(笑)、地域にある「リクルート・オフィス」へ。リクルート・オフィスとは、新兵を勧誘するために設けられたところなのですが、早い話、イラクに兵士を送り続けているアメリカ政府に反対の意思をアピールするために、そのオフィスの目の前でプラカードを掲げたり、平和的な歌を歌って楽しくプロテストをしようというもの。
外の風は冷たかったけれど、青空がとても澄んできれいだったお昼間のイベント。
女性も、そして男性もピンクの服を着ての参加で、なかなか楽しかったです。
「もっと素敵な世の中になるといいな」と感じ、考え、行動しようとしている人たちと集まってアクションを起こすというのは、私にとってはとてもわくわくするもの。
もちろん、こうしたイベントが時には「巨体の象の気を引きたいのに爪楊枝でつっついているような」ことをしている気にもなります。それでも、たとえ世の中の大きな流れに対する直接的な働きかけではなかったとしても、それは思わぬところでもっと素敵な世の中を創っていくプロセスに繋がっているのではないか、そんな気がしてなりません。
直接的なアプローチも必要だし、間接的なアプローチも必要。
世の中を動かしているのが政治(ここでは民主主義のシステム)だとすれば、前者はそれに働きかけることに当たり、後者は例えばNGOが行っている活動(全てがそうとは限りませんが)なのではないかと思います。
そんなことを考えていたら、思いもよらない新たな人びとや情報との出会いがありました。
そしてその出会いを通し、アメリカ国内でも直接的なアプローチを試み、実際に社会に変化を起こしている人たちはたくさんいるんだなと、改めて確信しました。
何だかとってもわくわく。

写真は、プラカードの一つです。
このサインを見てたくさんのドライバーがクラクションを鳴らしてくれました。
毎日、様々な出会いに感謝しながら、とても楽しい時を過ごしています。
これだから、日々を精一杯生きるのって、やめられないなぁ。
「自分のやりたいことがなかなか見つからない。」という人がいる。
それに対して、最近いくつかの方面から、興味深い答えを耳にした。
「それは、人に言われなくても既にあなたが始めていることなんだよ。」って。

なるほど、的を得た答えだと思った。自分が無意識のうちに始めてしまっていること、毎日何気なく続けているほんの些細なことに、「自分が一番やりたいこと」は隠されているらしい。
最近、いつもにも増してとても嬉しいことがあった。
実は、近々大学内にピースクラブ(正式名称は“Students for a Just Society”)を立ち上げるために、ささやかながらお手伝いをさせてもらっている。いわゆる平和活動なんかを推進していこうという趣旨の団体なのだけれど、まずは興味のある学生たちに集まってもらって話をしようということになり、第1回目のミーティングを開いたところ、なかなか手ごたえがあった。
呼びかけも直前でままらなかったにもかかわらず、全生徒数が1400人くらいの小規模な大学に、20名程度が集まってくれた。
事の発端は、私が今住んでいる街で活動をしている平和活動団体との関わりだったのだけれども、そのメンバーから、自分たちのコミュニティに存在している大学にピースクラブを立ち上げたいという思いを聞き、それならばお昼休みにカフェテリアの近くにテーブルを設けるくらいならお手伝いできるよ、ということで動き始めたことだった。
テーブルを設置してフライヤーやグッズなんかを学生たちの目につくように置いていると、興味津々に足を止めて覗いてくれる学生たちもたくさんいて、みんな楽しく会話をしながらサインアップシートに名前と連絡先を書いてくれた。
そこまでは、お手伝いのつもりで単純に1人でちょこちょこ動いていたのだけれど、そこからが思わぬ話の展開に。「ピースクラブをどうやって立ち上げようか、どう思う、さやか?」と聞かれ、そこまで詳しく考えていなかったので正直困ってしまった。う〜ん、どこまでも手伝いたい気持ちは山々なのだけれど、そればっかりに没頭できないし・・・。
アメリカ人(ひとまとめに呼ぶのは気がひけるけど)のウルトラポジティブな精神、さすが。
参りました。 笑
ということで、彼らの気持ちには応えたいのだけれど困ったなぁと思っていたところ、テーブルを設けた際に訪れてくれた学生で非常に興味を示してくれた男子学生がいたとのこと。名前を聞いてみると、彼は大学内の環境活動クラブで既に出会っていた友だちだった。
それから。授業の合間を縫って、友だちのサポートという形でいつの間にか微力ながら動いている自分がいた。様々な思いがけない出会いに恵まれながら、クラブ設立の準備が少しずつ進んだ。
う〜ん・・・。何だか私、どこにいても結局同じようなことをしているんだな・・・。
始めは地域の団体と学生たちをつなげることのお手伝いだけでもと思い始めたことが、こんなふうに発展していくことになろうとは、思ってもいなかった。
そんなこんなで、ついに今週末、学生議会に設立案を提出という所まで来た。
いよいよだ、わくわく。
やっぱり私、こういう風に活動することが基本的に好きなんだなぁ。
「今の社会は何だか居心地が悪いから、何か自分にできないかな。」って思っている人たちと出会い、色々と企む、もとい(笑)、企画することに非常にわくわくさせられるらしい。
それでも、イベントの企画等でこれまでに数え切れないほどの失敗をしてきた。だから、もう二度と同じことは繰り返したくない。ピースフルなことをしようとしているのに、周りの人に迷惑をかけてしまうような本末転倒なことはしない。そう自分に言い聞かせている。
第1回目のミーティングに集まってくれた学生たちとの出会いは本当に楽しかった。
みんなそれぞれの視点から、クラブとして出来ることをたくさん提案してくれた。
これからますます、面白くなりそうだなぁ。
おっと、こんなに長い記事になってしまいました。最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございます。今後もまたぼちぼちご報告させていただきたいなと思っています。
わくわくするようなグループから、わくわくするような小さなコミュニティへ。
わくわくするような小さなコミュニティから、わくわくするような大きなコミュニティへ。
(さて、今日は何回“わくわく”と言ったでしょうか?
)
素敵な輪が、これからも少しずつ広がっていきますように。
それに対して、最近いくつかの方面から、興味深い答えを耳にした。
「それは、人に言われなくても既にあなたが始めていることなんだよ。」って。

なるほど、的を得た答えだと思った。自分が無意識のうちに始めてしまっていること、毎日何気なく続けているほんの些細なことに、「自分が一番やりたいこと」は隠されているらしい。
最近、いつもにも増してとても嬉しいことがあった。
実は、近々大学内にピースクラブ(正式名称は“Students for a Just Society”)を立ち上げるために、ささやかながらお手伝いをさせてもらっている。いわゆる平和活動なんかを推進していこうという趣旨の団体なのだけれど、まずは興味のある学生たちに集まってもらって話をしようということになり、第1回目のミーティングを開いたところ、なかなか手ごたえがあった。
呼びかけも直前でままらなかったにもかかわらず、全生徒数が1400人くらいの小規模な大学に、20名程度が集まってくれた。
事の発端は、私が今住んでいる街で活動をしている平和活動団体との関わりだったのだけれども、そのメンバーから、自分たちのコミュニティに存在している大学にピースクラブを立ち上げたいという思いを聞き、それならばお昼休みにカフェテリアの近くにテーブルを設けるくらいならお手伝いできるよ、ということで動き始めたことだった。
テーブルを設置してフライヤーやグッズなんかを学生たちの目につくように置いていると、興味津々に足を止めて覗いてくれる学生たちもたくさんいて、みんな楽しく会話をしながらサインアップシートに名前と連絡先を書いてくれた。
そこまでは、お手伝いのつもりで単純に1人でちょこちょこ動いていたのだけれど、そこからが思わぬ話の展開に。「ピースクラブをどうやって立ち上げようか、どう思う、さやか?」と聞かれ、そこまで詳しく考えていなかったので正直困ってしまった。う〜ん、どこまでも手伝いたい気持ちは山々なのだけれど、そればっかりに没頭できないし・・・。
アメリカ人(ひとまとめに呼ぶのは気がひけるけど)のウルトラポジティブな精神、さすが。
参りました。 笑
ということで、彼らの気持ちには応えたいのだけれど困ったなぁと思っていたところ、テーブルを設けた際に訪れてくれた学生で非常に興味を示してくれた男子学生がいたとのこと。名前を聞いてみると、彼は大学内の環境活動クラブで既に出会っていた友だちだった。
それから。授業の合間を縫って、友だちのサポートという形でいつの間にか微力ながら動いている自分がいた。様々な思いがけない出会いに恵まれながら、クラブ設立の準備が少しずつ進んだ。
う〜ん・・・。何だか私、どこにいても結局同じようなことをしているんだな・・・。
始めは地域の団体と学生たちをつなげることのお手伝いだけでもと思い始めたことが、こんなふうに発展していくことになろうとは、思ってもいなかった。
そんなこんなで、ついに今週末、学生議会に設立案を提出という所まで来た。
いよいよだ、わくわく。
やっぱり私、こういう風に活動することが基本的に好きなんだなぁ。
「今の社会は何だか居心地が悪いから、何か自分にできないかな。」って思っている人たちと出会い、色々と企む、もとい(笑)、企画することに非常にわくわくさせられるらしい。
それでも、イベントの企画等でこれまでに数え切れないほどの失敗をしてきた。だから、もう二度と同じことは繰り返したくない。ピースフルなことをしようとしているのに、周りの人に迷惑をかけてしまうような本末転倒なことはしない。そう自分に言い聞かせている。
第1回目のミーティングに集まってくれた学生たちとの出会いは本当に楽しかった。
みんなそれぞれの視点から、クラブとして出来ることをたくさん提案してくれた。
これからますます、面白くなりそうだなぁ。
おっと、こんなに長い記事になってしまいました。最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございます。今後もまたぼちぼちご報告させていただきたいなと思っています。
わくわくするようなグループから、わくわくするような小さなコミュニティへ。
わくわくするような小さなコミュニティから、わくわくするような大きなコミュニティへ。
(さて、今日は何回“わくわく”と言ったでしょうか?
)素敵な輪が、これからも少しずつ広がっていきますように。
日本からは飛行機で海の上を10時間以上かけて移動したところにいるけれど、
今はインターネットってものがあるから、知りたい情報はそこに居ずとも手に入る。
自分の興味関心に沿って多数のメールマガジンの登録も出来れば、オンラインで新聞も読めてしまう時代。そんなこんなで、ここに来る前に没頭していたいわゆる非営利活動組織やイベント情報についても、当然ながら逐次知ることが出来るわけなんです。
今日は、ずっと気になっていたある話題を一つ。
昨年夏あたりから日本では販売が始まり、その後様々な話題を呼んだ「ホワイトバンド」。
世界の貧困撲滅を目標に世界で、そして日本で始められたキャンペーンでした。
以下、“ほっとけない世界のまずしさキャンペーン”のサイトから抜粋。
----------------------------------------------------------------------------------------------
ホワイトバンドに込められた意味は、「世界のまずしさは克服することができる。この世界にはそのための資源や情報がすでにある。必要なのは『貧困を世界の優先課題にする』という意志をもつこと」です。ですから、G-CAP(ジー・キャップ:Global Call to Action Against Povertyの略)は、2005年に世界中の多くの人たちがホワイトバンドをつけてその意志を世界に示すことで、貧困問題の解消に積極的に取り組むように各国政府や国際機関に訴える大規模なキャンペーンを展開しています。
----------------------------------------------------------------------------------------------
さて、このキャンペーンに対して、「世界の貧困撲滅のために投資した(ホワイトバンドを購入した)と思っていたのに、資金の多くは広告や活動家たちの活動資金に費やされたなんて」と批難する方々が日本に結構いらっしゃったそうなんですね。
うーん、確かに、ウェブサイトの「会計報告」を覗いてみれば、いわゆるアドボカシー活動(政策提言、啓発活動)に使われた金額は大きいですよね。
だけれど、時間とお金とエネルギーを費やしてでも活動してくれる人がいないと、「世界の貧困はこんなにひどくなってるよー!みんなでどうにかして解決しようよー!」ってまずは呼びかけることすら出来ないわけです。
私は、そうやってまずは「どうにかしなくちゃ。」って、動いてくれて色んな情報を教えてくれた方々や活動団体に感謝したいなと思っています。
現在の非営利活動組織(NPOやNGOと呼ばれるもの)は、“持続可能な社会をつくろう!”と声高に叫んでも、残念ながらそのマネジメントが持続可能な形態になっていないこともしばしば。
多くの組織ではボランティア、いわゆる無償で奉仕をしてくれる人びとの手を借りないと経営を成り立たせるのは難しいし、正式な職員の方でも、仕事の量が多く質が濃いために労働時間外でも働かれる方が多いというのが現状だろうと思います。
たとえどんなに素晴らしい理念を掲げていたとしても、現実は本当に厳しいなというのが、これまでに見聞きしたことや自分の体験からの率直な感想です。
しかしながら、この先はそんなに暗い話だけではないと思っています。時代は確実に動いているし、こうした活動を続ける人々にとってのよい風も吹いているのではないかと。
今日は、まだまだ思考途中のトピックを取り上げてみました。漠然としていて、もしかしたら分かりにくいかもしれません。また、勉強不足の私が書いた記事なので間違いや解説不足も多々あるかと思います。
もしこのトピックについて考えをお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメント欄にでも残していただけると有り難いです。参考にさせていただきます。
「ほっとけない」キャンペーン、日本の有名人の方々も多数、広告に参加されているみたいですね。
(バナーをクリック)
マイノリティがいつの日か、メインストリームに移り変わる時。
それを形づくる芽は、きっと世界規模で確実に成長している・・・。

今はインターネットってものがあるから、知りたい情報はそこに居ずとも手に入る。
自分の興味関心に沿って多数のメールマガジンの登録も出来れば、オンラインで新聞も読めてしまう時代。そんなこんなで、ここに来る前に没頭していたいわゆる非営利活動組織やイベント情報についても、当然ながら逐次知ることが出来るわけなんです。
今日は、ずっと気になっていたある話題を一つ。
昨年夏あたりから日本では販売が始まり、その後様々な話題を呼んだ「ホワイトバンド」。
世界の貧困撲滅を目標に世界で、そして日本で始められたキャンペーンでした。
以下、“ほっとけない世界のまずしさキャンペーン”のサイトから抜粋。
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ホワイトバンドに込められた意味は、「世界のまずしさは克服することができる。この世界にはそのための資源や情報がすでにある。必要なのは『貧困を世界の優先課題にする』という意志をもつこと」です。ですから、G-CAP(ジー・キャップ:Global Call to Action Against Povertyの略)は、2005年に世界中の多くの人たちがホワイトバンドをつけてその意志を世界に示すことで、貧困問題の解消に積極的に取り組むように各国政府や国際機関に訴える大規模なキャンペーンを展開しています。
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さて、このキャンペーンに対して、「世界の貧困撲滅のために投資した(ホワイトバンドを購入した)と思っていたのに、資金の多くは広告や活動家たちの活動資金に費やされたなんて」と批難する方々が日本に結構いらっしゃったそうなんですね。
うーん、確かに、ウェブサイトの「会計報告」を覗いてみれば、いわゆるアドボカシー活動(政策提言、啓発活動)に使われた金額は大きいですよね。
だけれど、時間とお金とエネルギーを費やしてでも活動してくれる人がいないと、「世界の貧困はこんなにひどくなってるよー!みんなでどうにかして解決しようよー!」ってまずは呼びかけることすら出来ないわけです。
私は、そうやってまずは「どうにかしなくちゃ。」って、動いてくれて色んな情報を教えてくれた方々や活動団体に感謝したいなと思っています。
現在の非営利活動組織(NPOやNGOと呼ばれるもの)は、“持続可能な社会をつくろう!”と声高に叫んでも、残念ながらそのマネジメントが持続可能な形態になっていないこともしばしば。
多くの組織ではボランティア、いわゆる無償で奉仕をしてくれる人びとの手を借りないと経営を成り立たせるのは難しいし、正式な職員の方でも、仕事の量が多く質が濃いために労働時間外でも働かれる方が多いというのが現状だろうと思います。
たとえどんなに素晴らしい理念を掲げていたとしても、現実は本当に厳しいなというのが、これまでに見聞きしたことや自分の体験からの率直な感想です。
しかしながら、この先はそんなに暗い話だけではないと思っています。時代は確実に動いているし、こうした活動を続ける人々にとってのよい風も吹いているのではないかと。
今日は、まだまだ思考途中のトピックを取り上げてみました。漠然としていて、もしかしたら分かりにくいかもしれません。また、勉強不足の私が書いた記事なので間違いや解説不足も多々あるかと思います。
もしこのトピックについて考えをお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメント欄にでも残していただけると有り難いです。参考にさせていただきます。
「ほっとけない」キャンペーン、日本の有名人の方々も多数、広告に参加されているみたいですね。
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マイノリティがいつの日か、メインストリームに移り変わる時。
それを形づくる芽は、きっと世界規模で確実に成長している・・・。

「軍隊に行ってたときに背中に傷を負ったから、半年に一回は検査しないといけねぇんだ。」
またか・・・、と思った。
ここ(アメリカ)にいたら、軍隊の話を聞くことなんて、しょっちゅうだ。
だってここでは、軍隊というのは一つの立派な働き口であり、日常生活の一部なのだ。
例をあげれば、きりがない。
文頭の言葉は、あるアジアン雑貨店で、オーナーである兄の手伝いをしているマーティンのもの。彼は、兵士だった頃はアメリカ国内の複数の州に派遣されたそうだが、その際に体に重傷を負ってしまった。一見分からないのだけれど、軍隊から「身体障害」の認定を受けている。
マーティンは、もうすこしでコソボに派遣されるところだったとも言っていた。
コソボと聞いて、東ヨーロッパでの紛争とNATOのことがふっと頭に浮かんだ。
彼は、見たところ24歳かもう少し若く見える。コソボ紛争でNATOによる空爆が行われ
たのが1999年で、今から6年以上前ということは・・・、と考えをめぐらせてみたりする。
近々、中央アメリカの国、コスタリカに旅をする彼は、本当はもっと長く旅をしたいのだけど
検査をするために帰ってこなきゃならないとつぶやいた。
そんな彼は、話を聞く限り、強い反戦の思いを抱いている。
またある日は、寮内のコインランドリーでたまたま出会った男の子と話をしていたら、
彼は大学に入学する前に学費を稼ぐために軍隊で働いてきたと言う。
またある日は、友だちのまた友だちのパートナー(旦那さん)は今イラクに派遣されている
ということを耳にする。そんな彼女は、テレビをめっきり見ない。
イラクで何が行われているか、怖くて知ることができないからだ。
そしてまたある日は、サム(Sam)のような半世紀むかしに兵士だった方とも知り合う。
彼は今、“Veterans For Peace”という団体としても活動をしている。この団体は、いわゆる
退役軍人である人々が現在は非暴力と平和を望んで様々な活動を行うNGO(非政府組織)だ。
私はいつも、こんな話を聞くたびに、「へぇ、そうなんだ。」みたいな相づちをうつ。
でも、心の中は違う。
「お願いだから、行かないで。」
本当は、悲しい表情がしたいのだ。
だけどそんな綺麗ごとを言えないのも分かっている。
軍隊で働くことは、彼らにとっては生活をするために必要なことなのだ。
今日も、テレビのCMで、また新聞の折込広告の中で、「軍隊で働くことは誇るべきことだ。危険なことはちっともない。お母さん、心配しなくて大丈夫ですよ。」みたいなメッセージを上手く散りばめた映像や文字に出会う。
あーもう、こんなのおかしい!!って、正直狂いたくなる。
こんなの、ちっとも民主主義じゃない。
お空は、いつものように晴れ上がって美しい。
外に出て上を見上げれば、なんて平和な景色が広がっているのだろう。
もう少し、彼らや色んな人の話を聞いてみよう。
そう、改めて心に決めた。

またか・・・、と思った。
ここ(アメリカ)にいたら、軍隊の話を聞くことなんて、しょっちゅうだ。
だってここでは、軍隊というのは一つの立派な働き口であり、日常生活の一部なのだ。
例をあげれば、きりがない。
文頭の言葉は、あるアジアン雑貨店で、オーナーである兄の手伝いをしているマーティンのもの。彼は、兵士だった頃はアメリカ国内の複数の州に派遣されたそうだが、その際に体に重傷を負ってしまった。一見分からないのだけれど、軍隊から「身体障害」の認定を受けている。
マーティンは、もうすこしでコソボに派遣されるところだったとも言っていた。
コソボと聞いて、東ヨーロッパでの紛争とNATOのことがふっと頭に浮かんだ。
彼は、見たところ24歳かもう少し若く見える。コソボ紛争でNATOによる空爆が行われ
たのが1999年で、今から6年以上前ということは・・・、と考えをめぐらせてみたりする。
近々、中央アメリカの国、コスタリカに旅をする彼は、本当はもっと長く旅をしたいのだけど
検査をするために帰ってこなきゃならないとつぶやいた。
そんな彼は、話を聞く限り、強い反戦の思いを抱いている。
またある日は、寮内のコインランドリーでたまたま出会った男の子と話をしていたら、
彼は大学に入学する前に学費を稼ぐために軍隊で働いてきたと言う。
またある日は、友だちのまた友だちのパートナー(旦那さん)は今イラクに派遣されている
ということを耳にする。そんな彼女は、テレビをめっきり見ない。
イラクで何が行われているか、怖くて知ることができないからだ。
そしてまたある日は、サム(Sam)のような半世紀むかしに兵士だった方とも知り合う。
彼は今、“Veterans For Peace”という団体としても活動をしている。この団体は、いわゆる
退役軍人である人々が現在は非暴力と平和を望んで様々な活動を行うNGO(非政府組織)だ。
私はいつも、こんな話を聞くたびに、「へぇ、そうなんだ。」みたいな相づちをうつ。
でも、心の中は違う。
「お願いだから、行かないで。」
本当は、悲しい表情がしたいのだ。
だけどそんな綺麗ごとを言えないのも分かっている。
軍隊で働くことは、彼らにとっては生活をするために必要なことなのだ。
今日も、テレビのCMで、また新聞の折込広告の中で、「軍隊で働くことは誇るべきことだ。危険なことはちっともない。お母さん、心配しなくて大丈夫ですよ。」みたいなメッセージを上手く散りばめた映像や文字に出会う。
あーもう、こんなのおかしい!!って、正直狂いたくなる。
こんなの、ちっとも民主主義じゃない。
お空は、いつものように晴れ上がって美しい。
外に出て上を見上げれば、なんて平和な景色が広がっているのだろう。
もう少し、彼らや色んな人の話を聞いてみよう。
そう、改めて心に決めた。

ちょっと、せつない話を聞いたよ。
Samは、海を見るたびに彼女のことを思ったんだろうか。

今夜は、9月26日に行ってきた「ピースギャザリング」を主催した、“PEACE SEEKER”という
平和活動団体のミーティングにオジャマして来ました。
そこで話し合われた内容も非常に興味深かったのだけれど、最後に自分の経験したことを、日本からやって来た変わり者の留学生に話してくれたご年配の男性の話が一番印象に残りました。
今日はミーティングで、Samさんという、おそらく70歳くらいであろう方とお会いしました。
とっても元気で、非常にしっかりした意見を持ち、平和を強く望むお方でした。
彼の話は、ミーティングが終了しすでに数人が帰ってしまった後、こんなふうにして始まりました。
「あれは、1945年8月だった・・・。母がいきなり、『ペンとスプーンを持って庭に出なさい!』って喜んで言うんだ。どうしたのかと思いながら兄弟で庭に出てみたら、『戦争に勝ったわよ!(終わったわよだったかも。ここは訳ミスの可能性あり)』と言うんだ。そしてみんなでペンとスプーンをカチャカチャ言わせながら、騒いだものさ。」
そして、その後の彼の話はこんないきさつでした。
1945年から10年後、高校を卒業してすぐに進学をする気になれなかったSamは、
お父さんの勧めもあって、軍隊に入隊することになります。
そして派遣先は、日本の大阪と神戸、その後韓国と、3ヶ所で兵士として働くことに。
そんな中、Samは日本にいる間にある日本人女性と出会い、2人は恋に落ちてしまったそうです。彼女は非常に優しい女性だったとか。
ある日彼女に「両親に会ってほしいの。」と言われ、2人は小旅行に出かけることに。
そして向かった先は、広島。
しかし、観光はしているのだが、一向に彼女の両親が現れない。
おかしいなぁと思ったSamは、宿泊施設についた後、「ご両親は?」と彼女に尋ねる。
すると彼女は、「あぁ、私の両親なら、いつでもあなたに会わせられるわよ。ちょっと待っててね。」
と言って、彼女は自分の荷物から何かを探し出してきた。
風が吹く窓辺に立ち、彼女が手にしていたのは、涼しげな音を鳴らす風鈴。
「私の両親がここでささやいているのが、あなたにも聴こえる?」
・・・そう。実は彼女は広島の出身で、1945年8月6日、彼女の両親は広島で原爆によって亡くなっていたのだった・・・。
その後2人は、Samが韓国へ派遣されることになったために離れ離れになってしまう。
「日本は本当に美しくていいところだった。あそこにずっと住みたいと、あの時強く思ったんだが・・・。」
終戦から10年が経ち、アメリカと日本という国境を越えて出会った2人。
米軍基地の兵士と、原爆で両親を失った女性との恋。
また、Samはこうも言っていました。
「本当に信じられなかった。1945年8月のあの日、私は庭に出て、兄弟とはしゃいでいたんだ。
それなのに、その頃日本では・・・。」
「こっちに帰ってきてから、今でも探しているんだけど、こっちじゃやっぱり一向に見当たらなくてね。あの日本で見た風鈴を、もう一度見たいんだがね・・・。」
(追記:写真は、熊本県の天草の海を撮影したものです。)
Samは、海を見るたびに彼女のことを思ったんだろうか。

今夜は、9月26日に行ってきた「ピースギャザリング」を主催した、“PEACE SEEKER”という
平和活動団体のミーティングにオジャマして来ました。
そこで話し合われた内容も非常に興味深かったのだけれど、最後に自分の経験したことを、日本からやって来た変わり者の留学生に話してくれたご年配の男性の話が一番印象に残りました。
今日はミーティングで、Samさんという、おそらく70歳くらいであろう方とお会いしました。
とっても元気で、非常にしっかりした意見を持ち、平和を強く望むお方でした。
彼の話は、ミーティングが終了しすでに数人が帰ってしまった後、こんなふうにして始まりました。
「あれは、1945年8月だった・・・。母がいきなり、『ペンとスプーンを持って庭に出なさい!』って喜んで言うんだ。どうしたのかと思いながら兄弟で庭に出てみたら、『戦争に勝ったわよ!(終わったわよだったかも。ここは訳ミスの可能性あり)』と言うんだ。そしてみんなでペンとスプーンをカチャカチャ言わせながら、騒いだものさ。」
そして、その後の彼の話はこんないきさつでした。
1945年から10年後、高校を卒業してすぐに進学をする気になれなかったSamは、
お父さんの勧めもあって、軍隊に入隊することになります。
そして派遣先は、日本の大阪と神戸、その後韓国と、3ヶ所で兵士として働くことに。
そんな中、Samは日本にいる間にある日本人女性と出会い、2人は恋に落ちてしまったそうです。彼女は非常に優しい女性だったとか。
ある日彼女に「両親に会ってほしいの。」と言われ、2人は小旅行に出かけることに。
そして向かった先は、広島。
しかし、観光はしているのだが、一向に彼女の両親が現れない。
おかしいなぁと思ったSamは、宿泊施設についた後、「ご両親は?」と彼女に尋ねる。
すると彼女は、「あぁ、私の両親なら、いつでもあなたに会わせられるわよ。ちょっと待っててね。」
と言って、彼女は自分の荷物から何かを探し出してきた。
風が吹く窓辺に立ち、彼女が手にしていたのは、涼しげな音を鳴らす風鈴。
「私の両親がここでささやいているのが、あなたにも聴こえる?」
・・・そう。実は彼女は広島の出身で、1945年8月6日、彼女の両親は広島で原爆によって亡くなっていたのだった・・・。
その後2人は、Samが韓国へ派遣されることになったために離れ離れになってしまう。
「日本は本当に美しくていいところだった。あそこにずっと住みたいと、あの時強く思ったんだが・・・。」
終戦から10年が経ち、アメリカと日本という国境を越えて出会った2人。
米軍基地の兵士と、原爆で両親を失った女性との恋。
また、Samはこうも言っていました。
「本当に信じられなかった。1945年8月のあの日、私は庭に出て、兄弟とはしゃいでいたんだ。
それなのに、その頃日本では・・・。」
「こっちに帰ってきてから、今でも探しているんだけど、こっちじゃやっぱり一向に見当たらなくてね。あの日本で見た風鈴を、もう一度見たいんだがね・・・。」
(追記:写真は、熊本県の天草の海を撮影したものです。)
