大空の下で 〜my diary〜

モンタナの小さな街から送る、留学日記

時の流れと空の色に

何も望みはしない様に

素顔で泣いて笑う君のそのままを愛してる故に

あたしは君のメロディーやその

哲学や言葉全てを守り通します

君が其処に生きてるという真実だけで幸福なのです


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ミュージシャン椎名林檎の、「幸福論」より歌詞を抜粋。
椎名林檎の歌は、日本で友だちとカラオケに行くと必ず好んで歌った。

とりわけ彼女のこの歌の歌詞がたまらなく好き。
どうしてかな、ふと思い浮かんで書き留めてみたくなった。

私はきっと人を好きになるとき、その人のPhilosophy(日本語だと哲学とか、人生観とかいう)
に惚れてその人を愛おしく思うんだと思う。

それは恋愛においてだけではなくて、友人関係においても同じことが言える。
本当に大切で身近に感じる友だちには、いつもその生き方に魅せられている。

哲学や言葉全て・・・それを守りたいという気持ち。
何だかこれがある意味、究極の域に達している気がするのは私だけかな。

ここまでストレートに、綺麗に思いを表現してしまう歌詞。
才能が光ってるな、と思う。
久しぶりに、Mixiの自己紹介文を変えてみた。
半年ほど前に自分なりに綴ってみたものが、何だか今の自分に馴染まなくなってきたので・・・。

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でもやっぱり自己紹介って苦手。なんでかなぁ。
書いてみたら、ちっとも自己紹介になっていなかった。 笑

それで、引用したのが以下のお言葉。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダという、インドの偉大なヨギのお言葉より。

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・・・われわれはすでに、自分たちは、世間を助けつつ、実は自分みずからを助けているのだ、ということを知りました。

他者のために行われる働きの主な効果は、われわれみずからを浄化することなのです。他者の幸せのために働こう、という不断の努力によって、われわれは自分を忘れようと努めています。

この、自分を忘れるということが、われわれが人生で学ばなければならない大切な課業なのです。

人は愚かに、自分は自分を幸せにすることができる、と思います。そして長年の苦闘の末ついに、真の幸福は利己心を滅することである、しかも自分以外に、自分を幸福にすることのできる者はいない、ということを知るのです。

                        (「カルマ・ヨーガ」スワミ・ヴィヴェーカーナンダ講演集)

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これ、深い。深いよ。

今日は週末の金曜日の夜。平日に比べたら、ちょっと立ち止まって考える余裕がある。
自分が今向かおうとしているところは一体どこなのか、改めて思いをめぐらしてみよう。

あぁ、いつまでも、子どものように無邪気な笑顔で生きものたちと向き合える人でありたい・・・。
シェアリング、しませんか?

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色んな方のブログなどで紹介されているお話なので、すでにご存知の方も多いかとは思いますが、もしまだ読まれていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ読まれてみてくださいね。

私も、気付いたら涙がボロボロと、止まらなくなっていました。

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読んだ人の9割が涙した話!
「人生のどんな問題も解決する知恵『鏡の法則』」


“許す”もしくは“赦す”ということは、非常に深い愛に包まれた行為だなぁと思うことがあります。

私もまだまだ、まだまだ。これからです。

このお話をMixi日記で教えていただいたSilverRingさん、本当にありがとうございました。
ブログでこのお話を紹介していた米国インディアナ州に留学中の篠田くんを見習って、
私もこの場で紹介させていただきます。

素敵なことは、どんどんシェアしていけるといいですね。

・・・光を。 
「そんな、いいのに。おれも、いつもみんなにお世話になってっからさ。」

ある尊敬するお兄さん的存在の方のお言葉。
遠慮という意味ではなく、本当にこの“言の葉”の通りの気持ちでおっしゃったんだと思う。

この言葉、何気なく聞こえるようだけど、実はすごく深い。

私がまだ地元にいた今年の夏。
ある日、地面のコンディションが悪い所に車を乗り入れてしまい、案の定ぬかるみにはまって
動けなくなってしまった。あーっ、やっちゃった。

一緒にいた友だちとどうにか車を動かそうとするけれど、エンジンは回るのに一向に車は前に進まない。困り果てた私は、助けを求めて彼に連絡をし、わざわざ足を運んでもらったのだった。

手際よく私たちを助けれくれた彼は、まるで救世主のようだった。作業が終わり、「よかった、よかった。じゃぁね!」と、わざわざ足を運ばなければならなかったことを少しも厭わないかのように、さわやかに走り去っていかれた。私たちが、幾度もお礼の言葉を紡ぐ前に・・・。

そして、それからしばらく経って。

お世話になったこの方に、何か喜んでもらえるもののお返しをと思い、次にお会いする時にちょっとしたものを買って訪ねた。こういう時に、本当は何か気のきいた手作りのものを持っていければいいのだろうなぁと思いつつも・・・。

タイミングを見計らって感謝の言葉と一緒に手渡す。その時に発された言葉が、冒頭のものだ。

自分もいつも“みんなにお世話になっている”という表現が、あぁ、この人は本当に大きな
心の持ち主なんだなって思わせた。

その人の信念や価値観、そして世界観や宇宙観までもあらわにしたようだった。
「ありがたいなぁ・・・」その瞬間、そう思った。

なぜなら、“みんなにお世話になっている”という言葉が、「恩や感謝というものは生き物の間を循環している」というある種の信念みたいなものをその背後に見せたからだった。

恩や感謝だけでなく、願いや信念などの目には見えない人の気持ちって、きっと宇宙空間をぐるぐると循環しているのだと思う。人から人へ。生き物から、生き物へ。

もちろん、というように、双方向に行為や感謝の気持ちが行き来することも日本社会では特に大切にされてきた習慣であり、文化なのかもしれない。

だけど、その長年培われてきた当たり前の方式の元で度々つまずくことも多かった、社会においてまだまだ未熟な私にとっては、彼の言葉が光を帯びて私の心に安堵感を与えてくれたのだった。

“みんな”・・・か。 “みんな”・・・ねぇ。

アメリカという、また違う文化を持つ地に来て思い出す。ここでは、もちろん互いに感謝はするのだけれど、日本にある「恩返し」というのと全く同じ観念はないように見える。

助けたい時に助ける、それだけ。いたってシンプルだ。

そう言えば、日本では当然のようだった、どこかに旅行した時にお世話になっている人に
「おみやげ」を買うという習慣も、ここにはない。

きっと「恩返し」や「おみやげ」の文化を持つ国も持たない国も、それが必要で、必要ではなかったから、そうしたそれぞれの文化を育んできたんだろう。

何気ない一言に、その人の温かさがにじむ。

そんな瞬間を、尊いものだと、改めて感じた。

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この言葉に、励まされるんだ。

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(「雨の日には・・・」より)

書家であり、詩人でもある“相田みつを”さんの作品。やっぱりいいですね。
(Mitsuo Aida Museum→http://www.mitsuo.co.jp/museum/index.html
写真は、私の机のボードに飾ってあるものです。

現代の社会に生きている人々の中には、前へ前へと、
また上へ上へと進むことが良いことであるという一種の
常識のようなものが根付いているように感じます。
もちろん、私もそのことに対して、異論があるわけではありません。
成長することは大切なことだと思います。

ただ時に、立ち止まってしまうと、周りから取り残されるのではないか
という不安も生み出しているような気がしてなりません。

今日、ちょっとだけ悲しいことがありました。

授業中、私は自分でもあまりなぜだか分からないほどブルーな気持ちになっていました。
きっとあまりにも悲しい顔をしていたのでしょう、先生が授業終了後に、
「大丈夫?私に何か出来ることはあるかしら?」
と声を掛けてくれました。

その瞬間、なぜだか分からないまま私はボロボロ泣き出してしまいました。堰を切ったように。

実は、私は自分の取りたかった学部のクラスを今学期に履修することができませんでした。
原因はテストに対するここの大学の要求するスコアが高く、それに自分が
到達できなかったからでした。これまでのほとんどの交換留学生もそうだったようです。

理想と違う現実と出会い、しかもそれが自分の失敗のせいであると
突きつけられたとき、きっと無性にくやしくて悲しくなったのだと思います。

これは、別に大したことではありません。
非常にちっぽけなこと、そしてよくあることだと思います。
自分で作り上げた環境の中で、まずは精一杯を尽くすことでしょう。

しかし、「どうして今悲しんでいるの?」
と自分に問うとき、前へ前へ、よりよい自分へと進もうとする
自分との葛藤がそこにあることに気付きました。

そんな時、いつもにも増して相田さんの詩が、
心に沁みていくのを感じました。

前に行ったり、立ち止まったり、後ろをもう一度眺めたりしながら、
“いろいろある”毎日を、味わっていけたらいいなと思います。